動き続けると、光がみえてくる
こんばんわ。kira7188です。
このブログは、いわゆる普通のサラリーマンが
企業内起業家として社内ベンチャー立ち上げに携わり、
そしてゆくゆくは独立起業を目指す。
その過程をお伝えするブログです。
その成長過程・・・むしろ成長の無さを晒すことで、
現状に悶々としている方 ・ チャレンジしたいが1歩が踏出せない方の
背中を後押しすることが出来ればと思っています。
今日は、現在の新たなビジネス立ち上げに向けて、
暗中模索をし続けてきたなかで、「やっぱりこれだな」と感じたことを
書こうかと。今日も至極当然なことを書きますw
<動き続けると、光がみえてくる>
新たなビジネス立ち上げにあたり、今も一難去ってまた一難、課題だらけでは
ありますが、毎回一難は去らせることができています、とりあえずw
毎回壁にぶち当たるが、とりあえず何とか突破できている。
毎回必死です。諦めかけた時に、それでも前を向いてあの手この手をしていると、
ふと道が開ける感じですかね。引き寄せの法則とでもいうべきか?
でも、これって単なる神様が見ているとかってだけではなく、
ちょっとずつ成功に近づいているから、光がみえてくる=壁も突破できる
のだと思うんです。あ、もちろん神様も見ていると思います、まじでw
<失敗する=成功に1歩近づく>
なぜ成功に近づくか?あれこれやってみて失敗すると凹みますよね。
何度かチャレンジして、やっぱりダメ。
飛び込み営業なんかもそうですよね。以前に某ブラック企業の話?!を思い出して、
電話でアポが取れるまで座ってはいけないということを自分に課して、
ひたすら電話かけまくってみたら、1時間半立ちっ放しになったことがありました。
マシなほうなのかな?
何度か同じ失敗すると、「なぜ、ダメなのか」とか「どうしたら失敗しないのか」
とか自然と考え、動き方を変えますよね?変えてみて成功するか失敗するか?
失敗したら再度考えて、また動き方を変える。
そして、成功した時も「なぜ成功したか」って考えると思うんですよ。
逆に何が良かったか、とか。
このプロセスって、1つ1つ仮設を立てて検証してるってことなんだと。
成功するのも失敗するのも、1つの仮説検証が済んだということ。
仮設はたくさんたてられるけど、動いてみないと検証は出来ない。
だから失敗するのも、1つの仮説検証を済ませた訳ですから、
その分、正しいであろう仮設≒成功に1歩近づいた、
ということになると思うんです。
<進む方向さえあっていれば、遠回りしても目的地にはたどり着く>
ただ、注意しなくてはいけないのは、そもそもの進む方向はあっているか。
ビジネスで言えばコアバリュー・ミッション・ビジョンといった上位概念の部分です。
ココさえブレていなければ、多少の遠回りはしてもゴールにはたどり着く。
ココがブレると、そもそもの進む方向が真逆だった、ということにもなりかねない。
進む方向が真逆の場合は、さすがに遠回りしても目的地にはたどり着かない。
私達が現在取り組んでいるビジネスもこのコアバリュー・ミッション・ビジョンの
部分をかなり擦り合わせたので、これらは当初からブレていないです。
それより下位に位置するソリューションは、やっぱり何度もスクラップ&ビルドを
繰り返しています。
私はよく「◯◯をしたら、私達が笑顔にしたいと思っている人が、本当に喜んで
くれるか?」と考えて、進む方向があっているかをよく確認しています。
<とはいうものの、まずはやってみる。違ったらそこでやめれば良い。>
とは言うものの、そもそもの進む方向に悩むことも、やっぱりあるのかなと。
決めきれないというか。
そんなときは、結局まずやってみるwやってみれば大抵すぐわかります。
「あ、これだな」とか、「これ違うわ」とか。
違うと思えばすぐやめれば良いんですから。
最近は、違うと思えばすぐやめることも批判されない世の中になりましたし。
ホリエモンの多動力にも「サルのようにはまり、ハトのように飽きよ」とありますし。
私にはとてもありがたい言葉ですw
何も動かないのに、あれこれ言う人がほとんどです。
実際は行動しない人がほとんどです。
出来ない理由を並べる人がほとんどです。
1歩動けるだけでも全然違う。
そして、動き続ければ、今までとは違う景色が見えてくる。
皆さんは、動く人ですか?
今日も至極当然な内容ですみませんw
それではこの辺で。。。
「本を閉じて寝よう」
自分を突き動かす原動力は何なのか
こんばんわ。kira7188です。
このブログは、いわゆる普通のサラリーマンが
企業内起業家として社内ベンチャー立ち上げに携わり、
そしてゆくゆくは独立起業を目指す。
その過程をお伝えするブログです。
その成長過程・・・むしろ成長の無さを晒すことで、
現状に悶々としている方 ・ チャレンジしたいが1歩が踏出せない方の
背中を後押しすることが出来ればと思っています。
先日、とあるところで現在取り組んでいる企業内起業の経緯や、
その過程での苦労・葛藤などをお話しさせていただく機会があり、
このブログで書いているようなことをお話させていただきました。
特にウケが良かったのは以下の2つの記事の内容だったようで。
この辺りは特に、よくよく考えれば至極当然のことではあるのですが、
中々気づかない、忘れてしまっていることのようですね。もちろん私もそうです。
そんな中で、印象に残った質問が
「これほどまでに自分を突き動かす原動力は何なのか?」
というものでした。
<自分自身、いつも辿り着く質問>
私自身も明確な回答を整理しきれていないのが正直なところです。
この回答を探して自問自答し続けている、という感じですかね。
私自身、よく悩み、葛藤しすぎるタチなので、自問自答はしょっちゅうですねw
今やらせてもらっている環境はとても恵まれているし、勉強になっているし。
だけど、やっぱり色々苦労・困難・不安・葛藤・悩みもある訳です。
甘ちゃんな私ですが、私なりにやっぱり人生かけてやっているので。
そして、ふと思うんです。
何故、そうまでしてやっているのか。
別にもっと楽な道でやったって良いじゃないか。
もう少し整えて言うと、
「何のためにやっているのか?」「誰のためにやっているのか?」
となるわけです。
<自問自答し続け、「実はこうだったのか」と気づく>
大体自分の場合は、結局、「誰に」「何をしたくて」やっているのか?
と言う質問に落ち着きます。
この自問自答で最近気づいたことがあります。
私の場合、以前は「私自身のために」と言う部分が非常に強いと思っていました。
しかし、実は「家族(妻・子供)のために」と言う部分が実は非常に自分を
突き動かしている原動力になっていることに回り回って気づきました。
もちろん、自分が生きた証を残したい、爪痕を残したい、歴史に名を刻みたい、
そういった自分中心の想いも強くあります。
ただ、最近気づいたのが、自分の家族、特に子供に「自分の生き様を見せたい」
ということが強い原動力になっているなと言うこと。
自分が、親として、夫として、何を与えられるか?
そんなことを考えた時に、もちろんお金や生活環境なども必要なのですが、
それらを与えることに一生懸命になっても、そのレベルは所詮限られている。
じゃあ、ちょっと視点を変えて、子供にはどんな風に生きて欲しいか、と考えると
「この変化の激しい時代を、楽しく攻めて大胆に生きていって欲しい」
そんな想いが漠然とですが強くあって、すると自分が子供に与えられることって、
「そういう生き方を教える」と言うことになるなと。
私の場合、それを教えるには「自分がやってみせる」しかないと思った訳です。
子供はやっぱり親をみて育つので、色々なマインドは親の影響を絶対受ける。
私自身が、常に何かを恐れて生きて、守りに入る、または、逃げ切るような
生き方をしていては、後世に残すものが何もない気がしたんですよね。
なんだか話がそれた気もしてきましたが。。。
ただ、この「子供に自分の生き様を見せたい」と言うことが強い原動力に
なっているというのは、自問自答し続けて最近気づいたことです。
今まで、「子供のために」とか「家族のために」というのは、
自分のイメージでは何だか「自分を犠牲にして」というニュアンスを
強く持っていて、なんだか凄くネガティブな印象だったんですが、
実は自分も「子供のために」とか「家族のために」ということが、
強い原動力になっているんだなと、今更ながらに気づきました。
あ、私の場合「自分を犠牲にして」ではないですがw
<絶えず、何度も何度も、自分に問い続ける>
以上の自分の例からも、自分の原動力とは何か、ということは
何度も何度も自分に問い続ける必要があると思っています。
自分の価値観も変わっていく訳なので、原動力となるものも
少しずつ変わっていく可能性もあるし。
そして何度も問い続けることで、余計なものが削ぎ落とされ、
本当に自分が心の底からやりたいと思っていることに気づくというか、
辿り着けるのだと思います。
やっぱり自分自身には嘘はつけないですからね。
ちょっと今日は特にまとまりがないなー(汗)
今日はこの辺で。。。
相手が言っていること、本当に理解できてますか?
おはようございます。kira7188です。
このブログは、いわゆる普通のサラリーマンが企業内起業家として
社内ベンチャー立ち上げに携わり、そしてゆくゆくは独立起業を目指す、
そんなヤツの冴えないながらも前を向いて進んでゆく過程をお伝えするブログです。
そんなそんな成長過程・・・むしろ成長の無さを晒すことで、
現状に悶々としている方 ・ チャレンジしたいが1歩が踏出せない方の
背中を後押しすることが出来ればと思っています。
前々回のブログで「個々人の感じ方ってホントに違う!」ということを書きました。
その事についてもう少し書こうかと。
<打合せでよくある光景>
現在取り組んでいるチーム(というか社内)での打合せでよくある光景。
単語ひとつとっても理解が3者3様なんですね。見事に合わないw
考え方もホントにそれぞれ違うので(だからチームとしては良いのですが)、
何かを進めるにしても結局結論はほぼ同じなのにちょっとした考え方のプロセスや
その表現の仕方が皆食い違う。でもよく話していくと結論は同じのことが多い。
また、お客様の所に行ってお話をする中で「良いねー」という反応があって、
後からチームで話すと、「あの反応は手応えアリだ」「あれは本当は良いとは
思ってもらえていない」と、受け取り方も3者3様。
まー、こんなに意見の合わないチームかと思うこともしばしば。
<同じ言葉でも受け取り方は人によって全く違う>
よく(というか未だに?)、この意見の食い違いが起こると、
「なぜ自分の言っている事をわかってくれないんだろう?」とか、
「それはさっき言った事じゃないか」とか、
逆に相手の話に対して、
「さっきと逆のこと言っていないか?」とか、
「あ、その話のことだったの?!」とか、
特に私はそんな風に感じることが多く、要は自分が受けとめていたことと、
相手の言っていたことが実は全く違った、ということが多々起こっていたんです。
チーム内のコミュ力の低さと片付けてしまえばそれまでかもしれませんがw
これは例ですが、同じ「青空」という言葉でも、
ある人は雲ひとつない青空を思い浮かべ、運動会で大活躍した自分を思い出して
ポジティブな気分になる。
別の人は、天気の良い日にドライブをしていたら交通事故にあってしまい、
大切な人を失くした過去があり、そのことを思い出して悲しい気持ちになる。
極端な例ですが、受け止め方は真逆ですね。
この様なことが、日常のコミュニケーションの中でも
実は非常にたくさん起こっているんです。
<理解した気になっているだけ>
だから、会話の大半は同じ単語やキーワードを使って、共通認識を高めた
つもりでいるけど、実は頭の中で思い浮かべている光景は全く違っていて、
お互いが理解した気になっているだけのことが多いんです。
なので、先ほど書いた
「なぜ自分の言っている事をわかってくれないんだろう?」
「それはさっき言った事じゃないか」
というのは、
相手が理解した気になっているだけ=自分の言っていることは伝わっていない、
ということ。
逆に相手の話に対して、
「さっきと逆のこと言っていないか?」
「あ、その話のことだったの?!」
というのは、
相手の言うことを理解した気になっているだけ=実は全く理解していない、
ということ。
だから、もっと質問なり確認なりして、理解していない部分は
もっと理解を深める必要があるんです。
これを、「普通、そうでしょ?」「一般的にそうでしょ」と言って
片付けてはいけない。
また、「アイツとは考えが合わない」だけで片付けてはいけない。
(実際合わないんだけど・・・!?)
<「質問」して理解を深める>
よって、このお互いの理解がないまま「曖昧」に流してしまっている部分は、
質問や確認をして曖昧さを解消する必要があります。
特に合わないな〜と思う人とは、徹底的に解消しておきたいですね、出来れば。
例えば会話の中で省略されがちな「誰が」だったり「誰に対して」だったり。
また、「もういいんじゃないかなー」と言っている時に、その「いい」が
goodな意味なのか、badな意味なのか、とかですかね。
具体的には、会話の中でちょっとでも「ん?」と思ったら、
「それって、誰のことですか?」とか、「それって、どっちの意味ですか?」とか、
本当にわからないときは素直に「それ、どういう意味ですか?」とか聞くんです。
それによって、「あ、そっちだったのね」とか「そういうことね」となり、
先に理解のズレを無くせます。
「多分このこと言っているんだな」みたいな曖昧な理解ですぎていくと、
後になればなるほど食い違いがおきた時に「こう言っていたじゃないか」とか
「こうだと思っていたのに」という無駄なロスが起こるんですね。
作業工数的にも精神的にも。
ただし、この質問・確認は、聞き方によっては尋問のように
なってしまうので、その点は相手の気分を害しないよう聞き方は注意しましょうw
<ほとんど理解できていないし、伝わっていない前提で考えておく>
この約1年半、気の合わないメンバー(!?)でチームを組んでいることで、
自分の言っていることの伝わり具合・相手の言っていることの理解具合
については、すごく気をつけています。でもまだまだ不十分です。
極端な話、「つーかーの仲」とか「あうんの呼吸」というものはない!
というくらいの前提で、「相手が何を言っているか・思っているか」を
しっかりと考えながら自分の言葉を適切に発していかねばならないなと。
皆さんも日頃の色々な人との会話(特に職場かな。家族とも?)を
思い出して考えてみてください。
相手が言っていること、本当に理解できていますか?
今日はこの辺で。。。
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自分にとっての最大の敵は、自分自身
こんばんわ、kira7188です。
このブログは、
・大企業の管理部門でしか生きてこなかった事業経験のない人間が
・タイミングと運を掴んで社内ベンチャー企業の創業メンバーとなり
・そして更に独立起業を目指しいてく
そんな成長過程・・・というか、逆に成長の無さを晒すことで、
皆さんに勇気を与え、 現状に悶々としている方 ・ チャレンジしたいが1歩が
踏出せない方 の背中を後押しすることが出来ればと思っています。
今日も最近やっと理解できたことについて書こうかと。
<自分にとっての最大の敵は、自分自身>
非常に良く耳にするフレーズですよね。何度もこういった記事も目にしました。
でも、本当にそうだなと実感できたのはここ最近です。
なぜ、今までは腹落ちしきれていなかったのか?
それは、やっぱり敵は他人でしょ?(嫌い、ムカつく、邪魔etc)
という気持ちが拭えていなかったからです。
<やっぱり敵は他人だ、と思っていた>
自分の意見を否定する、自分のやることを邪魔してくる、etc...。
「敵」というのは極端な表現では有りますが、
自分の行く手を阻むのは、外的要因=他人である、という認識ですね。
ですが、その前提には、「自分は絶対に正しいという思い込み」や、
「相手に求めすぎている自分」が存在しているかと思うんです。
この辺りは前回のブログや自責のことを書いたブログにも繋がる
ところかと思いますが、自分のことは棚上げしているんですよね。
<誰かを敵だと思おうとする自分>
そして、「敵」を定める=標的を定めることで、
エネルギーを向ける方向が定まったような気になるから、
自分自身も楽なんですよね。
これって私だけかもしれないんですが、対決の構図だったり、
白黒はっきりさせるとか、勝負をつけるとかって、
結果がはっきりする感じがして分かりやすいから、すごく楽なんです。
そんな私特有?の思考もあって、「敵」を定めたがる自分がいる気がします。
結局、自分自身と向き合わず、「敵」定めて他責化する方が楽だからなんです。
逆に自分自身の至らぬ部分やイケてない部分に目を向けるのは辛いし、
そんな自分を変えようことするのは相当大変。無理かもしれないくらい。
人間、痛みは避けたいですからね。
だから余計に「敵」を他人に定めないと自分の中の辻褄が合わなくなる、
もう悪循環ですよね。
<ものごとはそもそもシンプル、人はもともと善良>
でも、目先の利益だけに捉われず、全体最適な視点で考えれば、
そもそもの利害関係は一致していることが多い。
例えば、会社でも部署間の対立が凄かったりしますが、
そもそも会社としては事業を成功させ売上をあげて利益を出し続ける
ことが共通目標。これは全部署アグリーですよね。
そもそもはシンプルな話であり、目標としては共通。
ということは敵なんてものは存在しないはず。
それなのに、自分で勝手に色々な事情を考え込み、抱え込むことで
ものごとを勝手に複雑に捉えてしまって、そうなるはずのないところで、
敵対をしている。
ザ・ゴールの通り「ものごとはそもそもシンプル、人はもともと善良」なんです。
<最大の敵である自分自身とは?>
以上を踏まえると、私の場合は、ということになるのかもしれませんが、
ついつい自分自身と向き合う事を避け、
かつ、勝手に色々な事情を考え込み、抱え込むことで
ものごとを勝手に複雑に捉えてしまう自分
これが「最大の敵である自分自身」という整理です。
何だかすごーく当たり前の事を言っている気がしてきたw
でもでもでもでも、これって結構たくさんの人に共通することでありながら
本当に理解出来ている人って相当少ないと思うんですよね。
そんなの当たり前じゃん!って言う人ほど、
実は理解出来ていなんじゃないかな〜。私がそうだったからw
皆さんはいかがでしょうか?
それでは今日はこの辺で。
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マンガはやっぱり読みやすいw
- 作者: エリヤフ・ゴールドラット/ジェフ・コックス,岸良裕司,蒼田山,青木健生
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相手に求めるのではなく、自分が何を与えられるか
おはようございます。kira7188です。
改めてこのブログは、
・大企業の管理部門でしか生きてこなかった事業経験のない人間が
・タイミングと運を掴んで社内ベンチャー企業の創業メンバーとなり
・そして更に独立起業を目指しいてく
そんな成長過程をお伝えするブログです。
成長過程というか、もがきというか、逆に成長の無さを晒すブログかも?笑
まぁこんなヤツでも前向いて頑張ってるんだから・・・と思っていただいて、
今の現状に悶々としている方や何かチャレンジしたいが中々1歩踏み出せない方の
背中を後押しすることが出来ればと思っています。
今日は、自戒の意味も込めて書くブログです。
ちゃんとgive出来てますか?というお話。
<相手に求めるばかりになっていないか。>
私は感情的な性格もあって、物の言い方とか相手への配慮とか気遣いとかを
大切にする傾向が強く、親しき仲にも礼儀ありと思っているタイプです。
これはどんなに仲の良い友人や家族に対しても、そうだと思っています。
話が早速それますが、槇原敬之の昔のアルバム「UNDERWEAR」の1曲目に
「男はつらいっすねぇ」という曲があって、(コレ↓)
その歌詞で、『だけど大切な言葉 言える人ってもっとかっこいい 「おはよう」
「こんにちは」「ごめんなさい」「ありがとう」』というフレーズが好きでして。
そんな事もあってか、相手への配慮が無い物言いの人ってスゴく苦手で。
相手に悪気がないとわかっていても、ついついムカッときちゃうんですね。
そんなことでいちいち傷ついて怒って・・・ってことを未だにやっている訳で。
つい、「なんで、そんな言い方するかな〜」とか「その言い方は無いでしょ」とか、
「その言い方は気に入らない」とか、つい最近まで相手に直接言っていたことも
しばしば。そう言う感情的なケンカ越しのやり方で仕事をすすめる文化の組織に
長いこと属していたからなんですかね?
でも、自分の物言いが大概な時も多々あって、「変な言い方してしまったな〜」と
後から反省することもしょっちゅう。
そんな時は「コレが自分のキャラだから?!」と言って、自分のことはそれで
片付けてみたり。それなのに相手にはきちんとした言動を求めている。
結局、自分は相手に対してすごい配慮しているかもしれないけれど、
一方で相手に対してもすごーく「求めている」んだなぁと。
その「求めた」通りに返ってこないから、ムカついている訳なんですね。
<まず自分は何がgiveできるかを考えているか。>
で、求めまくりな自分に気づいたところで、一方、自分は何を与えられているか?
さっき言った配慮?気遣い?それもそうなんでしょうけど。
でもコレは相手の立場に立って何がgive出来るかにはなっていない、
本質的には相手のためにgiveしていないんだなと。
結局マスターベーションに近いんですよね。
それだけではgiveしているとは到底言えない&足りない。
よく、ビジネス交流会が例に上がりますが、ただ自分の人脈を広げたいだけだと
さほど盛り上がらず、あまり今後に繋がる人脈は作れない。
一方、交流会で出会った相手に対して何らかのgive(人脈紹介や仕事依頼etc)が
出来ると、その結果、相手との関係が出来て人脈が広がる。
だから自分が何を相手に対してgive出来るかを考えて交流会に参加しろと。
よく言われますよね。ごもっともだし実際そうだなと。
相手ことをよく聞き、相手の立場になってよく考えてこそ、
相手が求めるgiveが出来る訳ですね。
<giveし続ける。見返りは求めない。>
そして、良いgiveが出来たとして、その見返りを決して求めない。
この本にも書いてあります。「与えた恩は水に流せ。受けた恩は忘れるな。」と。
ついつい見返りは求めたくなるものですし、やっぱり損得勘定はありますからね。
見返りを求めたくなる気持ち、全くもって否定しません。
でも最近気づいたんですけど、ただ相手が喜んでくれた、ってだけでも
スゴく嬉しいもんですよ。嬉しくてもっとgiveしようと思える。
まぁ、それでも「相手が喜ぶこと」を求めていることにはなるかもしれませんが。
<他人は変えられない。違いを認め合い、尊重し合う。>
そして、そもそもコレ。当たり前ですけどみんな違うんです。
自分の価値観で「AならばB」と決めつけるから、違う返答が来た時に
「えっ?!」となるんです。
でも、同じ景色でも見ているところが全然違うように、本を読んでも感想が
人それぞれ違うように、個々人の感じ方ってホントに全く違うんです。
この点はこの1〜2年でやっと気づきました。想像していた以上に違う!
同じ言葉・単語1つでも受け取り方が全然違う!!ホントに違う!!!
この「違い」を思った以上に受け入れられていないと思うんですよね。
私含めてみんな。以心伝心なんてない!・・・とは言い過ぎですが、
かなり低い確率ですよ。
自分の言っていることは10のうち2か3伝わっていれば良い方だし、
逆に相手の言っていることを10理解しているつもりでも、実際は
0.5〜1くらいしか理解出来ていないです。極端すぎるけど多分みんなそう。
そして、それは大概が「お前は違う・俺が正しい」では片付けられない。
だけど物事を進めるためには何か1つの方向に向かなければならない。
だから話し合ったりするんですけど、まずは互いの違いを認め合い、
尊重し合うところから入らないと、話がおかしな方向に行っちゃって、
納得いく結論が出たはずなんだけど、何故か後味悪いみたいな。
まぁでも、コレは本当に難しい。こうやって書くのは簡単ですけど、
ホント、ムズカシイ。。。
<giveし続ける。見返りは求めない。(念押し!)>
あっ、いかん!また相手に求め出している!!
相手ことをよく聞き、相手の立場になってよく考えてこそ、
相手が求めるgiveをし続ける。
与えた恩は水に流せ。受けた恩は忘れるな。
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ちょっと時間がなくなって来て尻切れになってしまいました。
ここ2〜3日の自分の思考の整理&自戒のブログです。
いつもこんなことばっかり考えている
しょうもないヤツということでw
では今日はこの辺で。
起業家のように企業で働く